203高地さんのブログ | 夢と笑顔.com

203高地

讒言と諌言

それは讒言か。或いは諫言か。・ものの言い方によって、紛らわしくなることもある。・いや、もっと怖いのは、受ける者の姿勢と能力で、その区別が分からないこと。・分からない者にこそ諫言を要するわけだが、その真意を理解出来ぬこと多しの矛盾と...全文

やらない理由付けは

理屈は何にでもつけられる。理屈のつけ方で、能力と本音がわかる。・「忙しいから勉強が出来ない。」との言い訳もしかり。・忙しさの程度は人それぞれであろうが、勉強する人はやっている。・明らかに忙しくない人でも、一向にやらない人もいる。果...全文

学んでいなかったら

「ああ〜、もしも私が勉強をしていなかったら、 この人が今言ったことを鵜呑みにするのだろうなあ。」「あっ、もしも私がこのことに無知だったら、 この人の間違った発言に気づかないのだろうなあ。」・僭越ですが、こういうことを感じる機会は多...全文

燕雀安んぞ鴻鵠の志を・・・・

「嗚呼、燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」・陳勝を想いつつ、ときに触れつぶやく。・優越感に浸るばかりでは、自惚れの恐れ。同志や理解者を得ることも難し。・胸に秘めつつ、ことは穏やかに為す。・  ...全文

私淑する人

私淑する人を見つけ出せるか否かは、自己の成長性を左右する。・精神生活の安定性、自信の確立性、知識生活の豊かさにも通じる。・人生の早い時期であればある程効果は大きい。しかし、遅まきながらもということもある。・もちろん独りとは限らない...全文

いつか来た道は

この道は、いつか来た道。・良きことにつけ悪きことにつけ、その様に感じることがある。・前例での教訓が蘇るか否か、それこそが、自己の意識程度を示す。・自己の学びの程度を。・   ...全文

人には言えるが

人の不作為を指摘するのは容易。挨拶とかの日常的なことでも。・只、ときとして、灯台下暗しになる。・自己の不作為の罪を省みることなく、人の罪ばかりを追求する癖の無意識。・人を統吾するには、これでは不可。・  ...全文

我思う 故に我在り・唯心論とかの難しいことは知らない・思索にふけると、自然とその境地になる・我の思う我こそが、我なのである・ ...全文

「妻をめとらば曽野綾子」

「妻をめとらば曽野綾子」・三浦朱門が言った言葉ですが、なんと素晴らしい言葉でしょうか。・「〇〇ならば203高地」そんな風に言われてみたいです。・でも、そんな風に言ってもらえる要素が果たして自分にあるのか否か。人生の試験、であるかの如...全文

質問と尋問の違いを

質問をするのと尋問をするのとは、まったく違うことです。・又、同じ質問ではあっても、知識を問う質問と、意見や考え方を問う質問とでは、これまた別の性格のものです。・質問というのは、本来は後者であるはずです。・この違いを、ついつい忘れて...全文
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